毒親 親子 問題 影宮竜也 親子療法

楽な自分を取り戻しに行こう!

楽な自分を取り戻す旅へ出ませんか?

こんにちは!たね子です。

ついに、完成しました!「解毒ワークブック」!

今回も制作段階で挿絵など関わらせて頂いたので、

いち早くその中身を拝見することができたのですが・・・

心が混乱している方。

もう何をどうしていいかわからず途方に暮れている方。

問題や困難から抜け出す方法を誰か教えて!という方。

そんな方に心からお勧めしたい素晴らしい中身になっています。

実は私自身、一時期自分を変えたい一心で

俗に言う自己啓発系の本からAC解説系などの本を

いくつも手にしたことがありました。

私にとっては、どれもなんとなく解ったような気さえするものの、

現実にはそう簡単に自分を変えることや、

そのヒントすら掴むことは難しいのだ・・・と落ち込むばかりでした。

一言でこの解毒ワークブックを表現すると、

「解毒への近道」です。

ワークブックを手にされたら、ぜひガイドに身を委ねて、

あなたの中に浮かぶ言葉をありのまま綴ってみてください。

何度も、何度も旅に出ることができます。

旅から戻ってくるたびに、分厚い殻が少しずつはがれ落ちて、

心も体も楽に、軽くなっていきます。

そうしたら、本当にエネルギーが湧いてきます。

元気を取り戻せるんです。

本当に地獄のような、過酷な経験をした影宮先生だから、

こんな本を作れるのだなとつくづく思います。

ある日、相談者さんのカウンセリングを終えた影宮先生が、

原稿を編集するため席に着き、こんなことを呟いていました。

「心に傷を抱えて苦しんでいる人達に、本当に伝えたい。

『本当に今までよく頑張ってきたね。

ひとりでよく闘ってきたね。

もう、そこから抜け出していいんだよ。

あなたが望めば、本来のあなたを取り戻せるんだよ』

僕みたいに、長く時間を費やすことの無いようにね。

相談者さんの笑顔になる姿を見るとね、僕は嬉しいんだよ」

と、心なしか影宮先生が涙目になっているように私の目に映ったのでした。

(相談者さんの声や表情が明るくなると、私もとても嬉しくなります)

ぜひ、あなたも解毒の旅に出て、

笑顔を取り戻しませんか??

→「解毒ワークブック」で解毒の旅へ!

 

解毒ジャーナル 目次

 

解毒ジャーナルとは・・・

 

器塾監修棘カードのイラスト・デザインを担当する、おーくらたね子が語る、「器塾」との出会い。カードデザインを担当することになったきっかけ、棘カード制作秘話などを掲載していきます。

(目次)

第1回「"毒親"という言葉」

第2回「どこからが"毒親"?"ありがちな親"?」

第3回「毒親と気付いたら、その対処は?」

第4回「器塾と出会ったきっかけ」

第5回「過去の記憶をたどり、洗い出す」

第6回「空っぽな恐怖」

第7回「なぜ、人生がうまくいかないのか」

第8回「麻痺した怒りを感じるために」

第9回「いいかげん、殻を破りなさい」

第10回「禁止令を解除する言葉」

 

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執筆担当/おおくらたね子

《プロフィール》器塾影宮氏の助手兼イラストレーター。器塾HP内のカットや棘分析カードの制作を担当。自分自身の幼少期から抱えていた生き辛さ、コンプレックス、緊張症、異性嫌悪などを克服するために本を読み、気付けば虐待に関する本を手に取るように。「100%クリーンな親もいない。もし自分の親が”毒親”だと思って葛藤しても、最終的には解消して自分自身ハッピーになること」がポリシー。(おおくらたね子Blog)

 

第1回 「"毒親"という言葉」

こんにちは!おーくらです。

解毒ジャーナル第1回は「"毒親"という言葉」についてお送りします。

 

「"毒親"って表現、ひどくないですか?」

「いい年した大人が自分の短所を親のせいにするの?」

「生み育ててくれた親に対して"毒"呼ばわりするなんて…」

などなど、やっぱりこの「毒親」という表現は少々過激なようで、一般的に平穏に暮らしている人達からはこんな反応がよく見られます。

 

おーくらが「毒親」という言葉を知ったのは、かの有名な「毒になる親」(著/スーザン・フォワード)を手に取ったのがきっかけです。

 

おーくら自身も最初この言葉を目にした時は少しギョッとはしましたが、「毒親と呼ばれるほどの親とはいかほどのものか」と関心を持ちページを開いてみると…目も当てられないような酷い親子の話ばかりで、胸が苦しくなりました。

 

日本でも(おそらく昔からあっただろう)、虐待の事件が取り沙汰されることが増えていますね。親が子を、大人になった子が年老いた親を、夫が妻を、妻が夫を…

 

テレビ、書籍、ネットの質問サイトなどでは、個人のこれまで蓋をしてきた生き辛さ、しんどさに目を向ける時流になってきたようで、その根本を探ったときに行き着くのが「毒親」ではないかと思うのです。

そして、こう定義づけでもしないとどうしょうもないくらい、しんどい目に遭っている人達がおそらくまだまだたくさんいるのだと感じています。

 

「毒になる親」を読んだおーくらも当初は、"毒親"というものは、

『ニュースに出るようなケースはさすがに"毒親"と呼べるレベル』

という認識でした。つまり、

自分自身の親程度は毒親とは言わないんだろうな…と。

 

なぜかガッカリする自分が居たわけです。

ここがポイントです。

 

"これはさすがにひどい"というケースばかりでなく、

"まさか自分は"

"私なんかたいしたことない"

と、さらに抑圧する人達はもっともっとたくさんいるのではないかとおーくらは思うのです。

 

毒親というのも、致死量レベルの毒から、使いようによっては毒になる微毒まで程度の差があるだけで、100%無毒の親はほとんどいないかごくごく少数派ではないかと。

 

毒にも薬にもならないのもそれはそれでどうかと。

(薬はそもそも毒薬から生まれたとも言いますし…余談ですが)

 

ひとつお伝えしたいのは、おーくらは「毒親」という表現は、自分の生き辛さに目を向けて解消する過程にある、一つの経験にまつわる言葉だ、としていることです。

おーくら自身のことを踏まえても、自分がねじれる原因が親由来だったら、それはやっぱりまがいもなく親が原因を作り、その時に受けた傷をそのままにされてきたことが多いのです。

 

甘えや誤解、自分が引き金を引いたこともあったかもしれません。

だけど、その傷を作ったのが親なら、それは親のせいなのです。

一端、親のせいだったと納得することで、次に進めます。

(そのうち、親のせいにするのはアホらしい、時間の無駄、私は私で生きていこうという意思が生まれます)

 

今、自分が生き辛さを感じているのならば、問題アリなのです。

 

「他人を変えることはできない」という言葉がありますが、それとセットで用いられるのが「自分が変わることはできる」という言葉。

 

「なかなか人間は変わらないものだ」とも言われるけれど、自分を変えたい、素直な自分を取り戻したいと強く願える人は、きっと変われるはずだと信じているおーくらです。

 

自分の中の毒=棘を見出した時に、現在もうすでに自分が成人しているならば、それはもう自分で”解毒=棘抜き”していくことだと思います。

 

それが、「大人になる」ということのひとつと言えると思います。

 

毒親も毒親なりにおそらくかわいそーな目に遭って来たはず(同情しろということではなく)で、何かしら毒親になった原因があるのだろうなと思うと、自分の代で終わりにして後に残さないようにしよう。自分の次の代が生まれた時には、その子が自分で解毒できる知恵と勇気が湧くように育てることができればと思います。

 

おーくらは、昔から「私はあなたたちの所有物、愛玩具ではない」と心の中で叫びながら生きていました。

 

自分が「私はあなたたちの子どもである前に、ひとりの人間である」とするなら、親だってひとりの人間、個人なのです。

 

親だからすべて子のことを理解するわけではない。

同じ価値観、考え方を共有できるとは限らない。

 

つまり、自分の中で”親と子”という関係の縛りから解き放たれた時に、ようやく対等の人間同士で向き合える(あくまでこちらのスタンス)のではないかと感じるのです。

 

冒頭に戻りますが、「毒親」という言葉に嫌悪感を感じる方もいらっしゃると思います。

 

「毒親」という言葉がどうというよりも、「人生かけて親のせいにする生き方」をやめて、「自分を取り戻す、楽な自分になる生き方」をそれぞれが追究することが、もっとこれから世間に認知されてもらえたら、と願うおーくらです。

 

→第2回「どこからが”毒親”?”ありがちな親”?」

第2回「どこからが"毒親"?"ありがちな親"?」

こんにちは!おーくらです。

解毒ジャーナル第2回は「どこからが"毒親"?"ありがちな親"?」というテーマでお送りします。

 

このテーマにしましたのは、おーくら自身が最初に我が身を振り返った時にかなり困惑してしまった経験からです。今でもどこまでが毒なのか無毒なのか混乱から抜け切れていない身ではありますが、私が思うに、おーくらのように微妙な毒に気付かず苦しんでいる方が多いのではないかなと思うのです。(他人から見ると明らかな場合だとしても)

 

いきなり結論から言えば、毒親とそうでもない親のはっきりとした線引きというのは ない と、おーくら思っています。

 

そもそも親をカテゴライズすることがちょっとムリがあるのかもしれません。

 

親との関わりで傷ついたと感じる記憶があるかどうか。大人になっても自分の中に引きずっているしこりの出来た発端がどこにあるか探った時、自分にとっての親はどんな存在だったかを、おーくらは考えてみました。

 

今、心に刺さったままだった棘を感じられたら、自分にとってそれは毒だった。それを自分で抜いて大人になった人もいれば、抜く作業まで至ることを知らないまま大人と言われる年齢になった人もいる。要するに、棘が抜かれていないままになっていることが問題なのだと。

 

例えばものすごくざっくり行きますが、おーくら自身「毒親と言われる存在がある」と知った時点で書籍をいろいろと読み、まず頭の中に出来た毒親のイメージ、判断基準というものは次のようなものでした。

 

例)

・日常的に暴力行為が家族間に存在する

・親がアル中、酒癖が極度に悪い

・家事、仕事をせずだらだらと過ごす病的な親

(ゴミ屋敷、食事を作らない、何日も洗濯しない)

・性的虐待

・金遣いが荒い、ギャンブル依存、子どもたかる、責任を負わせる

・暴言が激しい、脅しなど日常的に存在する精神的虐待

 

大まかにこれらのイメージがおーくらの中で出来上がりました。

 

そうすると、前回でも書きましたとおり『あれ…わたし当てはまらない…』となったんです。幸い?おーくらの親はこれらの条件はあてはまりませんでしたから。やっぱり親の厳しさだったのかなと処理しようとしましたが、やっぱりできない。何かひっかかるのです。

 

なので次に、親に対してずっと抱き続けてきた不満や反抗心を振り返ってみました。

 

・褒めて欲しいだけなのに常にダメ出し(物心ついた頃から)

・人の容姿をけなす

・ゴシップや愚痴の話題ばかり

・どうせ何も出来るわけが無い、取り柄が無いと子を評価する

・親の価値観を押し付ける、子の聞く耳を持たない

・親の望む道を進まず自由にやるなら勘当と言われる

・成人後も帰宅時間に口うるさい(ぶっとばされたことも)

・家庭内の愚痴の捌け口にされてきた

・家に波風立てない為に本音は言うなと教えられる

 

などなど・・・

しかし、これらは「よくあるある」ネタだったりするわけです。特に、田舎気質の家庭には多いよね!というようなですね。

 

身内のことはあまり褒めるものではない。

(家庭の中ではせめて褒めて欲しい)

子と比べ人生経験豊富だから教えてあげてるのだ。

(『そんなに経験豊富そうにも見えない…』と、親を信用できない自分)

目標があるなら親の猛反対を振り切る意地があるはずだ。

(その前にすでに振り切る自信と気力を摘まれてしまっている)

面倒な人にはとりあえずハイハイと言っておくのが賢い生き方だ。

(ハイハイと言った後守らなかったら怒りを買うではないか)

 

言いたいことも言えないこんな両親じゃ〜POISON〜 ですよ。(意外といい歌詞じゃないかと思ったりする)

 

まぁでも、自分で自己分析するのも限界が見えてくるんです。自己分析結果、毒レベルC級だったなぁと。

しかし、実はまだまだ気付いていなかった問題が浮上してくるわけです。

 

仲間数人と毒親比べあいっこ大会のようなトークをしているうちに、自分では普通で当たり前だと思っていたことが、他者から見ると「それ、結構ひどい話だよ?!」という突っ込みをもらえたりするのです。

 

そちらの方が自己分析より比較にならないショックを受けましたね。

 

これは本当にもう、語り合える仲間がいたからこそ気付けたことで、おーくらは幸運だなとつくづく思います。

 

実はこの、オープンに語り合える人達で立ち上げたのが器塾なのです。

 

ひとりで悩んでいる方がいらしたら、無理に自己解決してしまう前にお気軽にメッセージをくださいね。

 

一人で悩んで、考察することって、とっても大切です。そして、自分の毒を見つめる為に経験を語り合える仲間の存在があることはもっと素晴らしいものです。

 

→第3回「毒親と気付いたら、その対処は?」

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第3回「毒親と気付いたら、その対処は?」

こんにちは!おーくらです。

今日は、「毒親と気付いたら、その対処は?」 というテーマでお送りします。 

 

毒親との対処…この自分に適した対処法とは何か?と頭を悩ます方も多いかと思います。

 

いきなりですがおーくらの持論では 「対処法は親子の数だけ千差万別」 という、非常に難しい課題ではないかと考えてます。 

 

なぜなら、親子間のことだからです。 

その親のタイプ、解決したい本人(子)の気質、現在の状況、問題になっていること…

 

あらゆる本に具体的対処が書かれていないのは、”Aの問題がある場合、Bの対処を取りましょう”と断言できないからではないでしょうか。

 

Bで解決できるケースもあれば、通用しないケースもある。

どう対処しても、追っかけてくるケースもある。

 

一番最後に残る大切なことは、自分と親を自分の中で切り離す意志が芽生えることではないでしょうか。

 

闘う勇気を持つこととか、負けない強さを持てとか、覚悟を決めることが重要とかおーくらは言う気はありません。

それが簡単にできれば、困ってないんですから。

 

人は疲弊しきって気力が落ちている時には、立ち上がって声を上げる当たり前のことすらものすごくエネルギーを要する時があります。

 

そういう時は、疲れているんです。一度、元気が湧かないと立ち上がれません。対処を考えて取り組んでいけるのはそれからです。

 

考えて、決断して、行動するエネルギーを徐々に取り戻していくのです。

 

自分の胸の内の悩みを誰かに聞いて欲しい、分かって欲しいという時があると思います。経験者は、話を少し聞いただけでもピンと来るものです。

 

一人で抱え込まず、相談してみてください。器塾は、相談者のプライバシー厳守をお約束します。

 

→第4回「器塾と出会ったきっかけ」

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第4回「器塾と出会ったきっかけ」

こんにちは!おーくらです。

解毒ジャーナル第4回は、おーくらの器塾との出会いについてお話ししようと思います。

 

器塾と出会ったのは、あるきっかけで影宮さんと知り合ってからでした。

 

●人生にけつまづいた時

その時、おーくらはあることで悩んでいました。

作品を創る側の人間として、大きく行き詰まっていました。

 

自分はなぜ絵を表現手段にしたのか。

 

作品を通していったい何を人に伝えたいのか。

 

何を描きたいのか。

 

それが見出せないのになぜ、

作品を創ろうとすることに固執してしまうのか。

 

・・・才能ないんじゃないか?

 

などなど、実に悶々として過ごしておりました。

 

大人になってからイラストや漫画のお仕事はいただいていましたが、数年して行き詰まりを感じ、上のような状態になりました。

 

それなりに作品を出していたのですが、どうも作品にしっくりこないのです。毒にも薬にもならない作品を作り続けたってどうするのかと。

 

人生に大きくけつまづいた時期でした。

 

人生につまづき、トラブルが起こった時の原因は何か?

それは、自分自身の何かが原因を作っているのではないかと感じ始めていました。ただ、それがよくわからない。

 

それを影宮さんにご相談したところ、「器の法則」についてお話しを聞いて、なるほどと腑に落ちることがたくさんでした。

 

そこで、ちょっと分析をしてみましょうかということになったのでした。

●自己分析…その結果

その頃はまだ棘カードなるものが完成する前で、後におーくらがイラストを担当させてもらえることになるのですが、器の法則理論で影宮さんにお話しを聞いてもらいながら進めていきました。

 

「”自分の心”を”器”とした時、その中身は何で満ちていると思います?」

 

と、ふと影宮さんから尋ねられ、答えることができませんでした。

 

「人は生まれた時、赤ちゃんの頃は純粋無垢でしょう。

複雑な感情表現はまだ知らず、お腹が空いた、オムツが気持ち悪い…最初に訴えられるのはこのくらいです。

 

そこに、親をはじめとする周囲の大人が赤ちゃんに関わっていくことで刺激を受け、その赤ちゃんは

『この(笑った)顔にするとこの人達が喜んでくれる、嬉しいな』

『こうすると、叱られるのだな、今度はやめよう』

と、周囲の反応をじっと観察しながら生きる為に学んでいくわけです。

 

もともと、まっさらの状態から、親の反応、態度を真似て成長する…つまり、親自身の習性があなたに注がれていると言えます。

 

ということは・・・?

人とは、親の要素を受け継いでいくのだと思いませんか?

その”子”には、良くも悪くも親の性質そのものがインストールされているのだと。」

 

確かに、そうかもしれない。性格のここは母に似ている、ここは父に似ている、と両親から指摘されたことがありました。

 

親の考え方を参考に、特に子ども時代は生きていました。

 

試作段階の棘カードを使って影宮さんに現在の行き詰まりから抜け出す為の分析をしてもらうと、出てきたカードに胸がドキリとしました。

 

「カードを通して、おーくらさんに出てくるのは…

”支配” ”否定” ”干渉”…親御さんからの抑圧が強かったという記憶はありませんか…」

 

という影宮さんの指摘にまたギクリ…

 

おーくらの両親は、自分の腕で生計を立てることがいかに難しいかということでずっと良い顔をしませんでした。仕事がそこそこ貰えるようになっても、まだ認めてもらえないような様子でした。

 

自分でも、一般企業に勤めずフリーで仕事をしていく不安定さや難しさは分かっているつもりです。ただ、それでもせめて両親には応援してもらいたかった。「まぁ、お前なりに頑張ってみなさい」とだけでも言って欲しかった。

 

そんな記憶が甦り、涙が自然とこぼれて抑えることができなくなりました。

 

なんとか前に進みたい。

そのために影宮さんの教えてくれたことは、まず自分の過去、あらゆる記憶、その時の気持ち…を辿って洗い出すことでした。

 

→第5回「過去の記憶をたどり、洗い出す」

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第5回「過去の記憶をたどり、洗い出す」

こんにちは!おーくらです。

第5回は前回からの「器塾と出会ったきっかけ」の続きになります。

 

 

影宮さんに、『過去の記憶を辿って洗い出す』ことを勧められるままに、思い出せるものは洗いざらい、カードを通して吐き出していきました。

 

それらを通して気付いたことは、「私はまだ大人になれていなかった」という事実でした。

 

…と言うとちょっとお利口さん過ぎるかもしれませんね。 いい年した大人になっても、まだ親に甘えていた、依存していたんだ…ということに気付かされました。

 

 ただ、その気付きを得るまでは、最初は親に対する抑え込んでいた不満や悲しさ、憤りが爆発しました。 

(やがて「私は甘えていたんだな、卒業しなきゃ前に進めないな」というところに落ち着くまでのプロセスは、また後ほど…)

 

 ●子供の頃の自分、抑えた気持ちを思い出す

試作のカードを用いて、影宮さんに誘導されるまま 過去の記憶をたどっていきました。 

 

年代に合わせてカードを選び、めくっていきます。 

カードのキーワードから思い出す記憶をどんどん呼び起こしていきます。 

 

将来の仕事で両親と揉めて、 家出を企てた学生時代。

 

親の愚痴の掃き溜めになっていた中学生時代。 

将来はイラストレーターになると決意した時期。 

 

イラストを描くのが楽しくてしょうがなかった小学生時代。 

 

そして、もっと幼い頃… 

 

私の分析に必ず出てくる「否定」というキーワードがここに出ました。

 

何かを我慢したこと。 自分自身を否定された感覚になったこと。 親から言われた言葉でなんとなく気になっていたある言葉を思い出しました。

 

それは両親の「男の子が欲しかった」という言葉でした。

 

よく、「妊婦のお腹がとんがっていたら男の子」というジンクスを聞きますが、 私が母のお腹にいた時は、その通りお腹がとんがっていたそうです。

 

エコーをとっても男か女か判別できなかったそうで、 生んでみたら女の子だったとわかり、 その親の話からは当時の両親の少し落胆した様子を想像してしまいました。 (本当に親が落胆したかどうかはほんとのところわからないのですが) 

 

おそらく笑い話として両親の言ったかもしれない「男の子が欲しかった」という言葉で、 待望の男の子を授かったかもしれないと期待した両親を、 自分が女に生まれてしまったことで両親をぬか喜びさせたような気持ちになりました。

 

女に生まれてしまって、ごめんなさい。と。

 

その話を影宮さんに何気なくしていたら、 突然涙が込み上げてしばらく話ができない状態になりました。

 

その自分の状態そのものに、驚きました。 

 

それまでは、親が何かそんなこと言ってたな〜くらいに思っていましたし、人様に初めてお話ししたことでもありませんでしたので。

 

それから堰を切ったように、 女に生まれた自分の身を呪ってみたり、 男になりたいと願ってみたり(そしたら父に愛される、という単純で浅はかな発想) 女の子に生まれた自分を否定した記憶が溢れてきました。

 

…と同時に、芽生えた気持ちもありました。

 

「女の子をやり直したい」というものでした。 

 

親からの告白を聞く前の私は、女の子らしいものが大好きだったのです。 

 

フリルのついたワンピースにソックス。

お出かけ用の洋服を手に取る時の高揚感。

ピンクや赤の服がよく似合うと言われて嬉しかったこと。

お人形さんのように長い髪に伸ばしたかったこと。

ぬいぐるみやお人形遊びが大好きだったこと。

アニメの変身アイテムのような可愛い小物が大好きだったこと…

 

今から当時の格好をするわけにはいきませんが(笑)大人の年齢になった今からできることを、 少しずつ取り戻していきたい、気持ちを一新してやり直したい!という希望のようなものが湧いてきたのでした。

 

→第6回「空っぽな恐怖」

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第6回「空っぽな恐怖」

私なりに、過去の生い立ちや親に対する不満を振り返り、 ”自ら自分自身を抑えている”事実に気付きました。 

 

そしてさらに、ある程度不満を吐き出していくともうひとつ気付いてしまいました。 

 

それは、自分の中から、親の影響、刷り込み、根付いてしまった反射的な行動をどんどん引いて残ったのは、”いかに自分は空っぽか”という事実でした。 

 

 それは、通話機能やアプリや一切の機能が搭載されていない空っぽのスマートフォンのような感じ。 

 

 『いったい、私はなんなんだろうか』という葛藤が始まり、 『私は本当にそう思っているのだろうか』 『今のこの考えは、本当に自分の考えで浮かんだことだろうか』 と、自分の反射的な感情や意思すべてに懐疑的になりました。 

 

昔、 

「あなたの話しから、あなた自身の意志がよく見えない」 

「本当はこうしたいという意志が見え隠れするのになぜ素直に表現しないんだ」 

「今の話は誰の意思で言っているの?」 

など、人に言われたことがあり、当の本人である私はぽかんとしているおかしな状況でした。 

 

ある話から、そうだと自分も思うから話しているだけなのに、なぜ第三者から操作されて私がしゃべっているかのような指摘を受けるのだろうと不思議に思いながら、彼らの言葉に『いったい、どういうことなのだろう。どこか私がおかしいのかも』という不安を覚えました。

 

すると、だんだんと、そういえば…と、さっきから自分の口を突いて出る言葉が他人からの借り物のように感じられ、怖くなりました。

 

これは結局、自分にフィットする他者の言葉を引用することで責任逃れしている。自分の意見を出すこと=責任を取ることからの逃げに過ぎない、こすずるい行動だという考えに行き着きました。

 

他者の話を噛み砕いて、消化して、自分の心は何を感じたか、丁寧に自分に向き合うことを怠ってきたのです。

 

意志薄弱は、自分が自分でそう仕向けてしまった。

修正することをせず、負けない心を持つことを捨てた。

 

生き直したいから、まず自分の情けない部分を受け入れようと決めました。

 

→第7回「なぜ、人生がうまくいかないのか」

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第7回「なぜ、人生がうまくいかないのか」

『なぜ、生き辛さを感じるのか』

『人生がうまくいかないのはなぜか』

 

実生活において、なぜだか分からないけれど生きていることが辛くて仕方がない、何をやってもうまくいかないモードに入る時があります。

 

このサイクルから抜け出すには、徹底した自己分析、客観的視点、そして第三者のサポートが必要でした。

 

人は皆、ひとりで生きているというけれど、殻を破りまったく新しい人生を始めるには、膨大なエネルギーを要し、乗り越えるには一人ではなかなか難しい。

 

そういう、もう先が見えないほど人生に行き詰っている時は、一人ぼっちになっている状況だったりします。

 

それは、考えれば当たり前のことで、新しい世界で生きようとすれば、新しい人達との出会いが生まれることを知りました。

 

 

人生がなんだかうまくいかない自分の不具合さの原因を追究すると、確かに生まれ育った環境や親のタイプ、親や身近な大人にされたことが思い出されます。

 

毒になる親のせいだったと、思い始めます。

 

そして、原因に気付いたから、じゃあこれからどう生きていくか。

 

ここが、人生を変えるのに、生き方を変えるのに肝心なところではないかと思います。

 

自分が親との決着をつける、踏ん切りをつけるという意味で、一度親と対峙する。

 

でも、そこに『気持ちを訴えれば、親は理解を示してくれるだろう』という期待は持たない。

 

どんな親であっても、親は親の人生があり、考え方がある。

自分自身が自分の人生、正しいと感じる考え方が生まれたように。

 

親から理解されなくても、悲しまないこと。

自分は誰からも必要とされていない、価値の無い人間だなんて思わないこと。

 

自分ひとりでも生きていく覚悟が出来て、初めて呼吸が出来たようなすっきりする人生を歩み始めると、そんな自分でオッケーだと言ってくれる人達がそのうち集まってくれる。

 

器塾で分析を日々している中で、指摘されたことが3点ありました。

それは、成功禁止令、共依存、承認欲求。

 

全部、両親なりの愛の形だったと後に気付くのですが、私にとっては人生を歩むのに余計なブレーキになっていました。

 

そして、いつからか自分は望んでいないのに、それを受け入れてしまっていたのです。

 

私の場合は、親に認めて欲しいばかりに。

 

自分で、実は望んでいないという自分の内なる声に耳を塞ぎ、大人しく生きていれば認めてくれるだろうと思っていました。

 

それは自然ではないから、結局そのうち不都合が生まれてしまう。違和感が生まれてしまう。

 

そんなことにも気付かなければ、もやもやとしたままではあるけれど一般的に普通と言われる暮らしを送り続けていたかもしれません。

 

でも、気付いたのであれば、もう先に進むしかない!

 

→第8回「麻痺した怒りを感じるために」

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第8回「麻痺した怒りを感じるために」

いつものように、器塾で影宮先生とお話しをしていた時のことでした。

 

「たね子くんは、一度”怒り”を思い出す必要があるね」 と、影宮先生が言うわけです。 

この”怒り”は、いったい誰に向けての怒りなのか? 

どういう事に対しての怒りなのか? 

怒るようなことって何があるっけ? 

だいたい私、”怒り”を感じているかしら???

 

いつものように、???の連続になってしばらく固まってしまい、その後、”怒りを思い出す”ことが頭にこびり付いたまま数日間を過しました。

 

それから、日常で起こるいろいろな出来事…を通して湧いてくる自分の感情の発生源が気になりました。

 

もし、この湧いてくる感情、不満や怒りが収まるように行動したとしたら、自分は誰とも関わらず、社会からはぐれて完璧な引きこもりになってしまうだろう。

 

それで気持ちは一時的に収まるかもしれないけれど、心の不具合さを解消できるとは思えない。 

 

部屋の隅で息を潜めて暮らすような人生、送りたいと思えない。

 

私は、何に怒っているのか。

それをちゃんと知らなければ。

 

そして、心に浮かんでくる言葉を、ノートに書き連ねていきました。

 

人に迷惑をかけることの多い自分は居ない方が、きっと丸く収まる。

何かできる人は、とっくに何かしら形にしている。

自分は、誇大すぎる不相応な夢にしがみついているだけ… 

 

ノートには諦めの言葉ばかり。

 

他人に対する感情、ノートに書き連ねた言葉をよく見てみると、私が親に対して抱いていた感情、親に言われてきた言葉ばかりでした。

 

親に言い負けてきた悔しさを、他者に投影して勝手に腹を立てている。

 

負けてきた悔しさを、払拭するしかない。

 

何かにチャレンジするのをいつから怖気づくようになったのか。

 

絶対最後は達成させてやる!と一生懸命になったことはあっただろうか?

 

腹を立てることや、意地を出すことは、恥ずかしいことだと教えられてきた。 

 

なんとなく納得できないまま、私はそれを受け入れたまま、自分で考えることもせず、大人の年齢になってしまっていた。

 

残ったのは、臆病で殻に籠った自分。

 

否定的で、弱気で、獲られても怒らないどころか差し出す自分。

 

挙句の果てには、人生に行き詰っている。

 

自分で自分の動かし方が分からない。

 

最終的にこんな人生に作り上げてしまったのは、全部気の弱い自分。

 

自分で自分の首を絞め、チャンスを手放してきたのは、弱気の自分。

 

親に負けてしまった自分に、腹が立ち、怒りが湧いてきた。

 

悔しくて、涙が出そうで、もし部屋に一人きりだったらきっと思い切り嗚咽していた。

 

殻に籠るなんて、なんとつまらないことなのか。

 

親に一人で生きられるという証明をすることに怖気づいて負けて、つまづいて、いかにつまらない時間を過してきたか。

 

なんと時間を無駄遣いしたか。

 

「ただ、負けない気持ちで生きればよかったのに、なんてつまらないことに時間を費やしたか。 生きるのが嫌になりそうです」 

 

またしても、弱気ないじけ虫発言をしてしまった私に、影宮先生がこんなことを話してくれました。 

 

「そんなことはないよ。気付いたら、誰だってそうだから。 私は、『つまらないことで悩んでいたことが分かったけれども、もしこうして悩むことさえ無かったら、気付くことも知ることもできなかった世界がある。 悩んだから、本気で”自分の棘を抜いて”生き直す勉強をする道を見つけられた』ということに感謝しているよ。」

 

生きるのが恥ずかしい、消えてしまいたい気持ちになった私は、その言葉の温かさに涙がこぼれてしまいました。

 

→第9回「いいかげん、殻を破りなさい」

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第9回「いいかげん、殻を破りなさい」

前回から、私は”戦うことや成長しなければならないことを諦めた自分自身”に対して怒っていたことを知りました。 

 

自分の生き辛さを感じていたことのきっかけは親だったとしても、今の自分を作り上げたのは自分自身。

 

過去の自分の生き方を変えるには、自力で乗り越えるしかない。

自力で乗り越えるには、どうしたらよいのか。

生き方を変えるには、どうしたらよいのか。

 

悶々としている私を黙って眺めている影宮先生が、ぴしゃりと言いました。 

 

「たね子くん。いいかげん、殻を破りなさい」

 

その言葉にハッとした瞬間、新たな恐怖が生まれてきた。 

 

殻を破るって、私にはどんな殻があるのか。

破るには、どうしたらよいのか…

 

そういえば、私の頭の中では「どうしたらよいのか」フレーズが流れてばかりだった。 

 

きっとこれも、「どうすればいいのか教えてください」と人にすがってしまう依存心のもたらすセリフだろう。 

 

 殻を破る、殻を破る…

 

殻を破ることを考えてみて感じたのは、『これはきっと、方法論じゃないな』でした。

 

”正しい”方法論は無い。

 

在るのかもしれないけれど、思いつかない。

難しい本でも読めば書いてあるかもしれない。

でも、結局殻を破ることを諦めずに続けるのは自分次第。 

 

はっきり言うと、 難しいことは分からない。

今の複雑な心境を語るには、あまりにも知識とボキャブラリーが貧困すぎる。

 

幼児並の頭を使って考え抜いた結果、結論は

 

「今までと逆のことをやってみる」

 

でした。

 

 

今までだったら、途中で止めていたことを、とにかく最後まで持っていくよう頑張ってみる。

 

無理かもしれない、弱腰になりそうな時こそ飛び込んでみる。

 

自分流の「できる」方法を見つけていく。

 

バカと思われたっていいから、思ったことを言ってみる。

 

 

これらは、今まで怖くてできなかったことだ。

 

『私には無理』

『○○は苦手な私にとても出来ない』

 

実は、今まで自ら諦めてきたことは自分にとって結果はともかくチャレンジすべきであったことで、”チャンスを掴んだ”と思い込んでいたものは第二希望だったとしたら、何をやっても満足いく形にできないのは納得できるような気がした。

 

親に認められたくて、無理して完璧な人…いわゆる普通に問題なく暮らせている大人になりたいと思っていたけれど、私は残念ながらその資質は持ち合わせていなかったのです。

 

決して自己卑下ではありませんが、友人のこの一言がそれを実に明快に表現してくれていると思います。

 

『たね子はね、ご両親から”Windows”だと勘違いされて育てられてきたんだと思う。本当のたね子は”Mac”なのにね』

 

MacはMacだからできることを突き詰めていけばいいのでは?という友人の話に、妙に納得した私なのでした。

 

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第10回「禁止令を解除する言葉」

毒親絶賛棘抜き中のたね子です。

 

私は心理的ブレーキの非常に強い厄介な性格をしておりまして、今まで何かにトライした時に壁に立ちはだかると、『やっぱりこれ無理だよ…』と弱気になるのがパターンでした。

 

そこで、自分は最初から無謀なことをしていたのだ、ということにして、片付けようとする自分が顔を出し、途中で止めてきたように思います。

 

結果、周りの方も巻き込み大迷惑をかけるわけなのですが…

 

障壁のない挑戦など存在しないのだ、と今でこそ考えられますが、壁を越える工夫をして絶対乗り越えるとエネルギッシュになること=一生懸命になることを、私は避けてきたのです。

 

そのくせ私は、ほどほどの努力でほどほどに頑張ってきたと思い込んでいたのですから、たちが悪いったらありません。

ただの、準備不足や計画性の無さが『やっぱり無理』を作り上げているだけなのでした。

 

 

しかし、こういった風に我が子が何かの目標の途中で躓くとき、毒親はなんと声をかけるのでしょうか。

 

器塾でもそんな話をしていると、『こんなこと言われた』サンプルが浮上してきました。

 

「やっぱり、なんかお前はついてないね」

「何をやっても、絶対こうなるね」

「そんなの無理よ、やめておきなさい」

「その目標を達成できるような人はほんの針の先だよ」

「全然ダメじゃないか。○○ができるようになったら認めてやってもいいが」…

 

そして、ある人から怖い一言が出てきました。

 

「うちの母も過保護だったんですけどね…

私は幼い頃、喘息持ちだったんですが、外に出ようとすると必ず母が『だめよ、外は寒いから外に出ちゃ風邪引くでしょ』と。

 

たしかに私は体が弱かったんですが、外で発散させたい時もありましたよ。

 

だけど、私がどんなにごねても『熱が出たらお祖母ちゃんが面倒みなきゃいけないんだから、嫌がられるの。言う事を聞きなさい』と言われるので、このセリフが出ると諦めてしぶしぶ室内で過ごしました…」

 

というこの方のお話から、

 

外界に出ること=危険、家族が喜ばないからすべきではない

 

という図式が出来上がったのかもしれない、という話になりました。

 

身体のことが心配。

お姑さんに子供の世話を見てもらうのも肩身が狭い。

おそらく悪気無く言われたお母さんの言葉が、子供が外に飛び出す勇気を奪っているかもしれないと思うと怖くなりませんか。

 

 

まぁでも、結局大人と呼ばれる年になってる私達は、これに気付いたんなら自分達でどうにか決着つけて行くしかありません。

 

親の植え込んだブレーキは、親なりの安全装置だった。

 

今、それはもういらないのだ。

 

その代わり、それを実行して大丈夫なよう自分で対策を考えて、計画もしっかり立てて、壁に当たった時にはただ乗り越えることを一生懸命やる。

 

それと、そのテンションを持続させることが大切なのではないかと思うのです。そして、難しいことでもあるだろうと。

 

ある日器塾で、あるカウンセラーの方に自分を見ていただいた時のことです。

 

「何かにチャレンジしようとした時にね、あなたは迷うかもしれない。

その迷った時は、”GO”のサイン。皆応援してくれるから大丈夫。あなたは一人じゃないわよ」

 

というアドバイスをいただいた瞬間、胸の真ん中にあたたかいものがなだれこんでくるような感動を覚え、涙がにじみました。

 

もう、子供のときに作られた安全装置は要らないのです。

 

ひとりで、事故らないように走るための情報を集めて、準備が出来たら後はどんどん乗り込んでいくだけです。

 

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