毒親 親子 問題 影宮竜也 親子療法

第1回 「"毒親"という言葉」

こんにちは!おーくらです。

解毒ジャーナル第1回は「"毒親"という言葉」についてお送りします。

 

「"毒親"って表現、ひどくないですか?」

「いい年した大人が自分の短所を親のせいにするの?」

「生み育ててくれた親に対して"毒"呼ばわりするなんて…」

などなど、やっぱりこの「毒親」という表現は少々過激なようで、一般的に平穏に暮らしている人達からはこんな反応がよく見られます。

 

おーくらが「毒親」という言葉を知ったのは、かの有名な「毒になる親」(著/スーザン・フォワード)を手に取ったのがきっかけです。

 

おーくら自身も最初この言葉を目にした時は少しギョッとはしましたが、「毒親と呼ばれるほどの親とはいかほどのものか」と関心を持ちページを開いてみると…目も当てられないような酷い親子の話ばかりで、胸が苦しくなりました。

 

日本でも(おそらく昔からあっただろう)、虐待の事件が取り沙汰されることが増えていますね。親が子を、大人になった子が年老いた親を、夫が妻を、妻が夫を…

 

テレビ、書籍、ネットの質問サイトなどでは、個人のこれまで蓋をしてきた生き辛さ、しんどさに目を向ける時流になってきたようで、その根本を探ったときに行き着くのが「毒親」ではないかと思うのです。

そして、こう定義づけでもしないとどうしょうもないくらい、しんどい目に遭っている人達がおそらくまだまだたくさんいるのだと感じています。

 

「毒になる親」を読んだおーくらも当初は、"毒親"というものは、

『ニュースに出るようなケースはさすがに"毒親"と呼べるレベル』

という認識でした。つまり、

自分自身の親程度は毒親とは言わないんだろうな…と。

 

なぜかガッカリする自分が居たわけです。

ここがポイントです。

 

"これはさすがにひどい"というケースばかりでなく、

"まさか自分は"

"私なんかたいしたことない"

と、さらに抑圧する人達はもっともっとたくさんいるのではないかとおーくらは思うのです。

 

毒親というのも、致死量レベルの毒から、使いようによっては毒になる微毒まで程度の差があるだけで、100%無毒の親はほとんどいないかごくごく少数派ではないかと。

 

毒にも薬にもならないのもそれはそれでどうかと。

(薬はそもそも毒薬から生まれたとも言いますし…余談ですが)

 

ひとつお伝えしたいのは、おーくらは「毒親」という表現は、自分の生き辛さに目を向けて解消する過程にある、一つの経験にまつわる言葉だ、としていることです。

おーくら自身のことを踏まえても、自分がねじれる原因が親由来だったら、それはやっぱりまがいもなく親が原因を作り、その時に受けた傷をそのままにされてきたことが多いのです。

 

甘えや誤解、自分が引き金を引いたこともあったかもしれません。

だけど、その傷を作ったのが親なら、それは親のせいなのです。

一端、親のせいだったと納得することで、次に進めます。

(そのうち、親のせいにするのはアホらしい、時間の無駄、私は私で生きていこうという意思が生まれます)

 

今、自分が生き辛さを感じているのならば、問題アリなのです。

 

「他人を変えることはできない」という言葉がありますが、それとセットで用いられるのが「自分が変わることはできる」という言葉。

 

「なかなか人間は変わらないものだ」とも言われるけれど、自分を変えたい、素直な自分を取り戻したいと強く願える人は、きっと変われるはずだと信じているおーくらです。

 

自分の中の毒=棘を見出した時に、現在もうすでに自分が成人しているならば、それはもう自分で”解毒=棘抜き”していくことだと思います。

 

それが、「大人になる」ということのひとつと言えると思います。

 

毒親も毒親なりにおそらくかわいそーな目に遭って来たはず(同情しろということではなく)で、何かしら毒親になった原因があるのだろうなと思うと、自分の代で終わりにして後に残さないようにしよう。自分の次の代が生まれた時には、その子が自分で解毒できる知恵と勇気が湧くように育てることができればと思います。

 

おーくらは、昔から「私はあなたたちの所有物、愛玩具ではない」と心の中で叫びながら生きていました。

 

自分が「私はあなたたちの子どもである前に、ひとりの人間である」とするなら、親だってひとりの人間、個人なのです。

 

親だからすべて子のことを理解するわけではない。

同じ価値観、考え方を共有できるとは限らない。

 

つまり、自分の中で”親と子”という関係の縛りから解き放たれた時に、ようやく対等の人間同士で向き合える(あくまでこちらのスタンス)のではないかと感じるのです。

 

冒頭に戻りますが、「毒親」という言葉に嫌悪感を感じる方もいらっしゃると思います。

 

「毒親」という言葉がどうというよりも、「人生かけて親のせいにする生き方」をやめて、「自分を取り戻す、楽な自分になる生き方」をそれぞれが追究することが、もっとこれから世間に認知されてもらえたら、と願うおーくらです。

 

→第2回「どこからが”毒親”?”ありがちな親”?」

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