第10回「禁止令を解除する言葉」
毒親絶賛棘抜き中のたね子です。
私は心理的ブレーキの非常に強い厄介な性格をしておりまして、今まで何かにトライした時に壁に立ちはだかると、『やっぱりこれ無理だよ…』と弱気になるのがパターンでした。
そこで、自分は最初から無謀なことをしていたのだ、ということにして、片付けようとする自分が顔を出し、途中で止めてきたように思います。
結果、周りの方も巻き込み大迷惑をかけるわけなのですが…
障壁のない挑戦など存在しないのだ、と今でこそ考えられますが、壁を越える工夫をして絶対乗り越えるとエネルギッシュになること=一生懸命になることを、私は避けてきたのです。
そのくせ私は、ほどほどの努力でほどほどに頑張ってきたと思い込んでいたのですから、たちが悪いったらありません。
ただの、準備不足や計画性の無さが『やっぱり無理』を作り上げているだけなのでした。
しかし、こういった風に我が子が何かの目標の途中で躓くとき、毒親はなんと声をかけるのでしょうか。
器塾でもそんな話をしていると、『こんなこと言われた』サンプルが浮上してきました。
「やっぱり、なんかお前はついてないね」
「何をやっても、絶対こうなるね」
「そんなの無理よ、やめておきなさい」
「その目標を達成できるような人はほんの針の先だよ」
「全然ダメじゃないか。○○ができるようになったら認めてやってもいいが」…
そして、ある人から怖い一言が出てきました。
「うちの母も過保護だったんですけどね…
私は幼い頃、喘息持ちだったんですが、外に出ようとすると必ず母が『だめよ、外は寒いから外に出ちゃ風邪引くでしょ』と。
たしかに私は体が弱かったんですが、外で発散させたい時もありましたよ。
だけど、私がどんなにごねても『熱が出たらお祖母ちゃんが面倒みなきゃいけないんだから、嫌がられるの。言う事を聞きなさい』と言われるので、このセリフが出ると諦めてしぶしぶ室内で過ごしました…」
というこの方のお話から、
外界に出ること=危険、家族が喜ばないからすべきではない
という図式が出来上がったのかもしれない、という話になりました。
身体のことが心配。
お姑さんに子供の世話を見てもらうのも肩身が狭い。
おそらく悪気無く言われたお母さんの言葉が、子供が外に飛び出す勇気を奪っているかもしれないと思うと怖くなりませんか。
まぁでも、結局大人と呼ばれる年になってる私達は、これに気付いたんなら自分達でどうにか決着つけて行くしかありません。
親の植え込んだブレーキは、親なりの安全装置だった。
今、それはもういらないのだ。
その代わり、それを実行して大丈夫なよう自分で対策を考えて、計画もしっかり立てて、壁に当たった時にはただ乗り越えることを一生懸命やる。
それと、そのテンションを持続させることが大切なのではないかと思うのです。そして、難しいことでもあるだろうと。
ある日器塾で、あるカウンセラーの方に自分を見ていただいた時のことです。
「何かにチャレンジしようとした時にね、あなたは迷うかもしれない。
その迷った時は、”GO”のサイン。皆応援してくれるから大丈夫。あなたは一人じゃないわよ」
というアドバイスをいただいた瞬間、胸の真ん中にあたたかいものがなだれこんでくるような感動を覚え、涙がにじみました。
もう、子供のときに作られた安全装置は要らないのです。
ひとりで、事故らないように走るための情報を集めて、準備が出来たら後はどんどん乗り込んでいくだけです。