子供を愛さない親はいない
子どもを愛さない親はいない
ご存知の方もいらっしゃるとは思いますが、私は実の母親との間で裁判の経験があります。
それは家庭裁判所ではなく、地方裁判所での民事裁判です。
*私への最後のプレゼントとして、今まで誰にももらったことのない内容証明書を送ってくれたのも母親でした。
まず裁判では互いの主張を言葉でやり取りするのではなく、調書という書面を通じて互いに主張をします。
私はこの調書という書面の中に記されてあった母のある言葉が今でも心に残っています。
それは、
「子どもを愛さない親はいない」
という言葉でした。
私はその母の言葉に(愛)が込められているとは思えませんでした。
なぜなら、それまでの裁判での母親の主張には、
「何が何でもこの裁判で勝ち、屈服させてやる」
という攻撃心と憎しみや怒りしか私には感じ取ることができなかったからです。
もし彼女がいうように、
「子どもを愛さない親はいない」
という言葉が彼女の本当の言葉であるならば、私に攻撃心や憎しみそして怒りを向けるのではなく、親としての矜持を持った言葉で裁判に挑むはずです。
しかし私が調書を見る限り、そこには何も親の矜持たるものは一つも見当たりませんでした。
そこにあるのは、
「不安や恐れから逃れるために自己を偽装し、相手を陥れる言葉」
ばかりが並んでいました。
私は母との裁判それ自体を問題にしている訳ではありません。もちろん母と息子の間で裁判をすることについて、世間的にはレアケースであることは理解していますが、世の中には裁判まで行かなくても、それとあまり変わらない縺(もつ)れてしまっている親子関係だってあるからです。
私がこの裁判の何を問題としたのか?それは、
「親としての矜持が最後まで示されなかったこと」
に尽きると思います。
人はギリギリに追い込まれれば追い込まれるほど本性をさらけ出します。
普段は綺麗ごとをいくら言ってもその人間の真価は追い込まれた時に表れるものです。
「あなたのことが心配です」
と子供を思いやる態度を見せながら、
子供が一つでも親の意にそぐわない行動を取ると、
「言うことを聞かないなら絶縁だ」
「育てた恩を忘れやがって、お前のような人間は狂っている」
「育てたお金を返してから言いたいことは言え」
と、一変して態度を変える親の言葉のどこに本当の言葉があるのでしょうか。
*子供はちゃんとそんな親の欺瞞を見抜いています。
私の母の裁判調書にある言葉、
「子どもを愛さない親はいません」
その言葉は私に向けられた言葉ではなく、裁判を有利に進めるための方便または裁判官の心情を自身に向けるために便宜上に使われた空っぽの記号のような言葉にしか過ぎませんでした。
もし私が親として子供に向けるのであれば、調書の中でこんな他人事のような、誰に向けているのかがわからない言葉を向けることはないでしょう。
「子どもを愛さない親はいません」
ここでいう親はいったい誰なのか?
ここでいう子供はいったい誰を指すのか?
私と母の関係はこの言葉にすべてが凝縮されているような気がします。
もし私に問題あり、
母親が正しいとすれば、
私はその言葉に懺悔し涙を流したのかもしれません。
でも残念ながら私はその言葉にそんな感情が一切湧くことはありませんでした。
「あぁ、ここまできてもこの人は自己を偽装するのか。血を分けた子供ですら疑いそして恐れるのか」
彼女は自身の人生において無条件に自己を受け入れられた経験が無かったのでしょう。
自身の中にある不安を見つめることなく、その不安からいかに目を背けることができるのか?そればかりを考えて生きてきたのでしょう。
このような人は常に自分の中に問題を見出すことはなく、常に心の外に問題を見出す生き方をします。
「被害者意識」
被害者意識が強い人は常に自分の心の中に存在する問題から目を背けて、常に他者に問題を見出すことに夢中になります。そして、
「被害者の甘い蜜に酔うのです」
その親の「被害者の甘い蜜に酔うこと」がどれだけ子供の人生の厄災につながるでしょうか。
「親が自分の心を偽装して、自分を誤魔化せば誤魔化すほど、子供はその親の誤魔化しに失望し、その失望をいずれ社会そして他者に向けるようになり、さらに親を憎み、社会そして他者を憎むようになり、最後には自分の身を焼き尽くすように人生を終える」
私ももしかしたら道を踏み外していたかもしれません。
道を踏み外さずに済んだのも私は親以外の人たちの支えがあったからです。
毒親問題とは一般的に語られる虐待をする親のことだけを指すのではなく、このように親の人生に対する向き合い方も大きく関係します。
つまり毒親問題は一部の親だけが抱える問題ではなく、すべての親に関係する問題でもあると言えるでしょう。
「子どもを愛さない親はいない」
私は問います。
「その子供はいったい誰なのか?」
「親とはいったい誰なのか?」
そして、
「あなたは自分の子どもを本当に愛していますか?」
母親に愛されることなく親になった私も、私自身にまた日々問いかけている言葉です。
「親子ごっこから抜け出さなければ、私は本当の意味で親になる資格を持てなかった。その資格が無いことに気づかずに親をすればするほど私は無意識に子どもを自分の人生に巻き込んでしまったであろう」
私のこれまでの一連の行動はすべて世代間連鎖を断つための行動であり、そして私自身が本当に求めていた家族を手にするためのきっかけだったのではないかと、自身のこれまでのことを振り返って思うことがあります。
「子どもを愛さない親はいない」
今日もこの言葉を自問自答しながら、子供そして妻と向き合って行こうと思います。
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