毒親 親子 問題 影宮竜也 親子療法

影宮のコラム 毒親問題について

毒親問題について

 

ここ数年、

 

「毒親」

「毒母」

「毒父」

 

という言葉が社会問題の一つとして話題になっています。

 

「肉体的虐待」

「ネグレクト」

「性的虐待」

 

についてはこれまで取り沙汰されることはあっても、

 

「精神的虐待」

「過干渉」

「親の発達障害」(サイコパス)も含む

 

については中々語られることがありませんでした。

 

親子の問題は非常に根が深く、

可視化されないことが多いために、

 

事件にならなければその実態は他者に中々理解されない問題です。

 

秋葉原の無差別殺人事件

付属池田小学校の児童無差別殺人事件

 

の背景にも親子問題が大きく影響していると私は見ています。

 

これほど深刻な社会的影響を与える問題なのに、

どうして社会はこの問題に対して無関心を装うのか?

 

この問題の現場を見つめてきた私はいつも不思議に感じることがあります。

 

「親との関係で愛着障害を抱えた子供は人生に於いて不安を常に抱える」

「親に否定ばかりされた子供は強い怒りや憎しみを内包している」

「親になる資格のない親の下で育った子供は人生で苦しみを抱える」

「親に対する怒りの感情は簡単に消えることはない」

 

親が子供に与える影響は良くも悪くも大きく、

その子供の人生を大きく左右することもあります。

 

「成人を過ぎた子供のやったことを親のせいにするな!」

 

という論調が主流となっている昨今に私は疑問を感じます。

 

・成人を過ぎると親に責任がないのか?

 

法的には、「成人した子供の行動」に親の責任はありません。

ただこれは私の個人的な意見ではありますが、

 

「子供が成人したとしても親として責任を感じる」

 

ことから逃れられないような気がします。

 

「都合の良い時は親で都合が悪くなると親でなくなる」

 

親としてそういう訳には行かないと私は思います。

 

子どもを育てた責任は法的な面はともかく、

常に親につきまとうものではないでしょうか?

 

本当に子供に愛情を持っているならば、

 

・子供がどのような状態にあろうと守る

・子供が悪い道を進めば叱る

・子供がいくつになろうと他人に迷惑をかけたら一緒に謝る

 

のが親ではないかと私は考えるのです。

 

ご存知の方もいらっしゃるとは思いますが、

私は母親と裁判闘争を経験しています。

*母親に民事で訴えられました。

 

その時に思ったことがあります。

 

「どんな言い分があっても親子の間で裁判をするようになったら終わり」

 

家族紛争の場合は主に調停が利用されます。

調停は第三者が間に入って話し合いをする場所です。

 

裁判は調停と異なります。

裁判は、

 

「権利を主張し裁判官を通じて相手をねじ伏せる」

 

ことを目的とするのが裁判で話し合いを目的とした調停とは大きく異なります。

 

実際に親から、

 

「弁護士に相談する」

「裁判でもなんでも使ってこれ以上親に逆らえないようにする」

「言うことを聞かないなら裁判をする」

 

等と脅されて頭を悩ましている方からのご相談もいくつか受けたこともあります。

でも実際にこれまで裁判まで行ったケースはひとつもありません。

*調停についてはいくつかありました。

 

話が一旦それましたが、

 

「親子とは一体何なのか?」

 

について私たちは真剣に考えなければならない時代を迎えようとしています。

 

最近は親子の間で起こる殺人事件がそれほど珍しい時代で無くなりました。

 

またそれらのニュースを他人事として見るのではなく、

 

「自身の親子関係をあらためて考える機会」

 

にしなければ親子問題は永遠に無くなることはないでしょう。

 

親子問題を真剣に考えることは、

 

「子供に対する愛情」

「子供の幸せにつながる」

「親としての幸せにつながる」

 

のことになることを頭の片隅にでも入れていただけたらと思います。

 

(影宮竜也)

ニュースな二人①.JPG

TBS NEWSな2人 出演シーン

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